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「美術月評〈3月〉」『沖縄タイムス」2017年4月7日

 「現代沖縄陶工展 小橋川清正 陶技65年」(那覇市立壺屋焼物博物館、2月21日~3月20日)は、大ベテランの仕事を通観できる貴重な機会であった。この個展は、小橋川の際立った今日性を新鮮に伝えてくれるものだったと思う。鍛えられ、安定した技を見せてくれるというよりも、この陶工が常に新しい陶器づくりを目指しており、「力強さ」という事態に、その努力が向けられている。鮮烈な赤の色使い、そしてなによりも、生命力を感じさせる陶器の大胆なかたちの創出、そんなところに、安定志向ではない、清冽な陶工の企みを見出すことができた。79歳の陶工が、かえって若々しくすら見えることは、沖縄の陶芸界の厚みを証明するものであると同時に、より若い陶工を奮起させるものであったはずだ。
 「BACK TO BACK 沖縄ストリートアート・エキシビション」(県立博物館・美術館エントランス、3月7日~20日)は、在県のストリートアートの3組のチームが参加した、ショーケース的な展覧会であった。
 1970年代末にニューヨークを中心に発展し、今日においてはバンクシーのような、スター的存在も登場するに至った、短からぬ歴史を持つ表現形式であるが、ストリートアートのユニークさは、それらが都市を中心とした公共空間の、文字通りのストリート(路上)で成熟してきたことだ。しかもそれは、若者文化、下層文化としての自意識と反抗を、多かれ少なかれ共有しており、「お芸術」とは異なる文化階層を代表するひとつである。さらに、このような表現のスタイルは、例えば音楽やダンスであればヒップホップがそうであるように、アメリカの、主として有色人種が担う文化の異種混淆性に出自を持つことを考えれば、すぐお隣にアメリカを抱える沖縄においては、必然的に発展したものであるとさえ言ってよいかもしれない。
 ただ、注意しなければならないのは、あくまでストリートアートは、見た目の派手さやチャーミングさと裏腹に、合法・非合法のグレーな領域にあるということだ。筆者はこの「グレー」であることを、是としたい。杓子定規に白黒はっきりさせることばかりを求め、自らの自由を自ら捨てることに無頓着であるように思われる今日において、「グレー」であることの矜持は、不自由との抗争点を引き受けることに他ならないからだ。一時的とはいえ、ワイルドなストリートに展開されるような、グラマラスな空間がミュージアムの一角に出現していたことは、私としては希望と考えたい。
 「山元恵一展 まなざしのシュルレアリスム」(県立博物館・美術館、3月3日~4月23日)は、ニシムイ美術村世代の重要な画家の仕事を振り返る、貴重な展覧会であったことは間違いない。ただ、難を言えば、山元の画家としての軌跡を補足するための説明的材料として、山元以外の画家の作品が数多く展示に供されていたことは、かえって山元の仕事の中核を、ぼやけさせてしまったように思う。東京でシュルレアリスムの影響を受け、活動を共にした本土の画家たちの作品が、比較的数多く見られるという点では、今回の展観は稀有な機会であったかもしれないが。
 それはともあれ、1960年代末ごろから晩年にかけて描かれ続ける、いわゆる「牛骨シリーズ」の異様さに目を引かれる。このシリーズは、ベテランの境地に達した画家の自己模倣と片付けるには、あまりに同じモティーフに固執し過ぎており、いったいこの画家は、皮が剥がれ、赤々とした肉をのこした牛骨を通じて、何を見ようとしていたのか。ひとつ明らかだと思われることは、牛骨に人間像を託していたであろうことだが、しかしその人間像、あるいは人間観は、肉がむき出しになり、身体は寸断され、恐怖と同時に嗜虐性すら思い起こさせ、決して明るい人間像をそこに見出していたわけではないことは知るべきだろう。
 だとすれば、山元=シュルレアリスムの画家という理解のみで、山元の仕事を判断するのは慎重になるべきであり、今日なお、大きな「謎」として、その作品があることは、その過剰なまでの骨と肉の露出において、畏怖すべきである。
 「結展vol.8」(県立博物館・美術館県民ギャラリー、3月22日~26日)は、県立芸大出身の作家たちによる定例行事のようなもので、率直に言って、すべての作家が本気で作家活動をしているとは到底思えない。しかし、定点観測するための展覧会と割り切ってしまえば、注目すべき作家は確認できる。
 まず、屋宜久美子の抽象絵画の、画面全体が均質であるがゆえに極めて浅い奥行きしか持たず、けれどもいくらか、例えば気泡のような再現性を感知してしまい、逆説的に奥行きを見出してしまうような、不思議な絵画空間には注目したい。
 そしてなにより、金城徹の、極めて繊細な金細工と、金属の錆の使用という剛直さは、全く異なる二つのテーマとしてあるのではない。前者は事物が生成される瞬間、後者は事物の終わりの極と考えれば、実はその両極においてつながっているのだ。30代中盤を折り返したはずのこれらの作家たちが、本領を発揮するのは間近である。
 さて、筆者は美術月評の担当を、今回で最後とすることになった。担当当初から今日まで、好き勝手に放言してきたわけで、批判の言の折には、批評対象の怒りを買ったことも少なくない。しかし、芸術についての言説は、自らの正義と倫理にかけて、否定すべき際には率直にそう述べるべきであり、仲間内の褒め合いからは、何の創造性も生まない。沖縄県内で展開される展覧会は、今後も継続して見続けるので、芸術の志を高く持ち続けることを、この月評執筆で得た、かけがえのない糧とすることは約束しておきたい。

『沖縄タイムス』2017年4月7日
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by rnfrst | 2017-04-09 08:55
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