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「美術月評〈6月〉」

 県立博物館・美術館を会場にして開催された、「祝・東川町写真の町宣言 満25年 東川町へのトリビュート写真展『郷愁のコスモロジー』」(5月29日~6月6日)には、見るべき作品が少なからずあった。
 同展に出品されていた、韓国の民俗祭祀を被写体にしたキム・スーナムや、北海道で活動した掛川源一郎の作品は、グローバルな均質化に反する、ローカルな場における特異点を、民俗文化や生活者の様子を撮影することをつうじて、厳しくドキュメントしているものである。とりわけ、自らの文化を継承するために伝統的な儀式をとり行う、アイヌの人々の様子を撮影した掛川の写真が撮影されたのが、たかだか30~40年前に過ぎない近過去のものであるという事実は、見るものにショックを与える。
 民族的アイデンティティーをめぐる問題が、遠い過去の問いなのではなく、今日に至る地続きのものであることを明らかにしている点において、沖縄という境界的な環境で展覧される意義はあったと思う。だが、展覧会の主題と構成については、大いに疑問が残る。
 まずそもそも、沖縄の県立博物館という公共の施設で、北海道にある「写真の町」の25周年を祝い、賞賛=トリビュートする必然性がなぜあるのか。これでは単に、東川町という、少なくとも写真業界においては比較的良く知られた権威である町のブランドに、ただ乗りしていることにしかならないのではなかろうか。
 それよりも問題なのは、展覧会の主題である。「郷愁のコスモロジー」という判然としないタイトルとは要するに、「懐かしさ」という包括的なキーワードによって、撮影がなされた周縁的な伝統文化の諸々を包摂する、という程度の意味だと思われるが、メキシコ、韓国、北海道、沖縄といった地理的境界は、センチメンタルな「郷愁」を紐帯として結び付けられるよりもむしろ、先に挙げた掛川やキムの写真が示しているように、その現実としての差異を際立たせるものである。
 ならば、もの分かりのよい一元的なタイトルで包括するのではなく、差異は差異のままとして提示されるべきではなかったか。展覧された各々の写真は、それぞれ単独的なものであるはずだ。
 この月評で取り上げるべき最も重要な展覧会は、佐喜眞美術館での「石内都展 ひろしま in OKINAWA」(6月16日~8月9日)であろう。石内は、2008年に写真集『ひろしま』(集英社)を発表して以降、広島、東京、群馬で、広島平和記念資料館に収蔵された衣服や遺品を撮影したこのシリーズを含む個展を開催してきたが、私見では、この佐喜眞美術館での展覧会が、最も批評的な意義を持った展示になっていたように思われる。
 戦後の写真家たちにおいて、さまざまに取り組まれてきた「原爆」というテーマの「重さ」に反するかのように、遺品群を鮮やかに撮影している点が、石内の〈ひろしま〉の特徴であるが、これらの写真が沖縄で展覧されることによって、それまでとは異なった、別の記憶への回路が開かれているように見えた。端的に言うならば、普天間基地に隣接し、丸木位里・俊による〈沖縄戦の図〉を基礎とするこの美術館という文脈に、広島を主題とした写真が置かれることで、原爆投下を受けた広島と、沖縄戦という、ともに悲惨な「死」という記憶を分かち持つ時空間とその記憶が接合されている、ということだ。
 勿論、戦時下の広島と沖縄とを同一の事柄と見做すことはしてはならないが、このふたつの地名を、戦争という不条理な事態を共通点として、同時に思考することは、決して無意味ではない。恐らく石内自身もそのことに意識的であったと思われるが、実際、展示の方法自体も、石内の〈ひろしま〉と丸木の〈沖縄戦の図〉が、美術館の空間内部で、ゆるやかに繋つながるような展示がなされていた。
 石内の作品は、確かにこれまでの「原爆」を主題とした作品とは異なり、美的ですらあるが、この沖縄に所在する美術館で展示が行われることによって、その背後にある、次のような主題が浮かび上がってくるように思われる。それはすなわち、理不尽な災厄に直面した死者の記憶を、決して「忘れない」という倫理である。それは、他者に対して訴えかけるような反戦や平和といったメッセージではないだろう。そうではなく、私たちは淡々と写真によって写し取られた記憶の残滓を見ることで、「忘れない」という倫理を自らに刻むのである。
 「忘れない」ということはまた、しばしば平和な健忘症に陥りがちな私たち人間に対して、写真というイメージの記録装置を用いた表現手段がなしえる、最上の特質である。
 ところで、今月は見るべき展覧会が少なかった。とりわけ、若い表現者による作品に特筆すべきものがなかったのは、残念である。そんななかで、「東松照明デジタル写真ワークショップ沖縄 5人展」(沖縄タイムス1階ギャラリー、6月12~20日)には、新しい写真家が誕生する、可能性の萌芽が見られた。ワークショップの成果発表という性質上、師である東松のそれにあまりにもそっくりな写真も含まれていたものの、興味深い特質を見せていた作品も、わずかではあるが存在した。ともあれ、このような育成の場から、以後自立した表現者が誕生することを期待するものである。
 また、工芸に目を向ければ、「読谷山花織展 受け継がれる伝統・新しい伝統」(読谷村立美術館・読谷村立歴史民俗資料館、6月5~27日)では、貴重な資料や作品も少なからず展示されていたものの、伝統工芸の継承に比重を置いたためか、現在活動中の工芸家たちによる作品展、という感があった。そのため、印象としては羅列的、総花的であり、かえって花織の特質が見えにくくなっていたように思われる。
 読谷山花織は存在こそ良く知られているものの、纏まった歴史的検証が案外なされていない分野なので、より調査の行き届いた展覧会が、課題であるように思われる。
 他に、「第28回 沖縄平和美術展」(那覇市民ギャラリー、6月22~27日)、「田積司朗・田島征彦作品展」(リウボウホール、6月22~28日)、「長尾紀壽・武田浪作品展」(リウボウ7階美術サロン、6月22~28日)などがあった。

『沖縄タイムス』2010年7月9日
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by rnfrst | 2010-07-10 10:49

『沖縄タイムス』2010年7月9日 「美術月評〈6月〉」

沖縄のローカル紙である『沖縄タイムス』の本日付の記事として、「美術月評」を寄稿しました。
取り上げた展覧会は、先に沖縄県立博物館・美術館で開催された「郷愁のコスモロジー」展、佐喜眞美術館で現在開催中の「石内都展」など。

この「美術月評」、名前のとおり、開催されている月々の展覧会を論評する(ただし、沖縄県内のものに限るという制限あり)というものですが、私を含む全部で4人の評者が、月々ローテーションで執筆しているというもの。
要は、季節ごとに執筆の担当月が回ってくるというもので、私がこの「月評」を担当し始めてからこれが3度目の寄稿です。
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by rnfrst | 2010-07-09 11:43

「骨からの戦世―65年目の沖縄戦 比嘉豊光展」シンポジウム

ちょっと早めのインフォメーションですが、8月11日より、沖縄・宜野湾市の佐喜眞美術館で、比嘉豊光さん撮影の写真による展覧会が開催されます。
展覧会の会期中にシンポジウムが開かれるのですが、私が当該シンポジウムのプログラム・コーディネーターを勤めることになりました。
概要は以下の通りです。

シンポジウム「「骨」をめぐる思考」
開催日時:8月15日(日)14:00~
会場:佐喜眞美術館  
プログラム・コーディネーター:土屋誠一

(1)「写真の「残りのもの」――死/表象をめぐって」
パネリスト:
倉石信乃(詩人、批評家、明治大学准教授)
豊島重之(ICANOFキュレーター)
土屋誠一(美術批評家、沖縄県立芸術大学講師)

(2)「はたして「戦後」なのか?――遺骨の語るもの」
パネリスト:
北村毅(文化人類学、沖縄研究、早稲田大学客員准教授)
西谷修(フランス思想、戦争論、東京外国語大学教授)
屋嘉比収(日本近現代思想史、沖縄学、沖縄大学准教授)
司会:
土屋誠一

かなりハードなパネリストの面々を相手に、1日に2つのパネルに出席となっていて、大丈夫か俺、という感じですが……。
日程は世間で言うところのお盆ど真ん中ではありますが、沖縄県内の方のみならず、遠方の方もぜひご参集いただければ幸いです。
ちなみに、シンポジウムの開催日は、いわゆる「終戦記念日」ですが、沖縄においてあえて「日本」の終戦記念日に当て込んでいるところが、このシンポジムのミソです。

なお、展覧会の概要は以下の通りです。
展覧会も、かなりハードな内容になりそうです。

「骨からの戦世(イクサユ)―65年目の沖縄戦 比嘉豊光展」
展覧会期:2010年8月11日(水)~8月23日(月)
展覧会場:佐喜眞美術館
キュレーター:遠藤水城
主催:「骨からの戦世」展実行委員会
共催:佐喜眞美術館
協力:岩波書店、写真弘社、日本カメラ社

展覧会の内容については、佐喜眞美術館のウェブサイト
http://sakima.jp/
か、ARTiTのウェブサイト内にある、本展キュレーターの遠藤水城さんのブログで順次アップされるであろうエントリ
http://www.art-it.asia/u/ab_endom
などが参考になるかと思われます。
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by rnfrst | 2010-07-08 23:59