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『10+1 website』「2012-2013年の都市・建築・言葉 アンケート」

表題のとおり、『10+1 website』に、昨年の回顧と今年の展望についてのアンケート回答を寄せました。
http://10plus1.jp/monthly/2013/01/enq-2013.php#2241
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by rnfrst | 2013-01-31 09:53

「時の眼―沖縄」宮古展の意義 写真と参観者 幸福な関係

 昨年5月15日に浦添市美術館で開幕した「時の眼―沖縄」展は、最終巡回地として12月に宮古島にたどり着くことで、「復帰」40周年の楔となるそのプロジェクトを終えた。筆者も含む展覧会の実行委員会メンバーは、足掛け1年以上もこの展覧会と並走してきたことになる。しかし、「復帰」をめぐる沖縄での/沖縄についての思考は、停止するわけではない。41年目以降の未来の思考のための、ひとつの道標になることを期待するものである。
 宮古島市城辺公民館で開催された「時の眼―沖縄 in 宮古島」は、沖縄本島での実行委員会による成果を、今回宮古島で組織された実行委員会にバトンを渡すことで実現できた展覧会である。この宮古島での展覧会は、本島で開かれたそれよりも、ある点においては非常に有意義であったように見えた。展示には、宮古で撮影された写真や動画、展覧会巡回中に新たに撮り下ろされた写真が追加され、展覧会場の構成にも異同はあるものの、比嘉豊光と山城博明の作品による展覧会であるという点においては、展覧会コンセプトの大きな変更はなかった。にもかかわらず、宮古島での展覧会が有意であったのは、なぜだろうか。
 本島で開催された展覧会は、いずれも美術館を会場としてのものだった。宮古島では公民館での展示であり、「作品」としての写真の展示会場としては、恵まれた環境であったわけではない。しかし、人々と写真との距離が最も密接だったのは、この宮古展であった。展覧会に訪れた人々は、これらの写真を大仰な「芸術」などとは、思っていなかったかもしれない。その意味では、宮古展での写真は、「作品」ですらなかったと言えるだろう。けれども、「芸術作品」として仰ぎ見られることと、分有され得る記憶を刻んだただのイメージとして見られることと、どちらが写真にとって幸福なのであろうかと問えば、答えは自ずと明らかである。
 この「作品」未満の写真は、人々と記憶を分有することで、むしろ「写真」の潜在的な可能性を発揮していたと言うべきであろう。逆に言えば、比嘉や山城の写真は、美術館で「作品」として遇されるよりも、人々の集合的記憶と密接な距離にあるほうが、その本来の力を発揮するものであると言えるかもしれない。このことは、制度としての「芸術」を擁護する美術館に対する、表現の別の可能性を開示することを意味する。公民館で、宮古島に生きる人々に見つめられる写真には、美術館のような場所での展示的価値(ベンヤミン)を越えるような、写真の可能性が確かに見出せた。「時の眼―沖縄」展は、宮古島でひとまず終着したことで、むしろ未来に向けて生き始めることになったのだ。

『沖縄タイムス』2013年1月23日
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by rnfrst | 2013-01-25 11:19

『沖縄タイムス』2013年1月23日 「「時の眼―沖縄」宮古展の意義 写真と参観者 幸福な関係」

『沖縄タイムス』の本日付の記事として、表題の記事を寄稿しました。
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by rnfrst | 2013-01-23 07:48