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第9回 芸術学専攻 教養講座

私の所属する沖縄県立芸術大学の芸術学専攻主催で、毎年恒例の「教養講座」が開催されます。

場所:沖縄県立芸術大学 附属図書・芸術資料館 多目的室
日時:2013年10月15日、22日、29日 18:00 ~ 19:30
入場無料

10月15日(火) 幻視のなかのセザンヌ
 講師:浅野春男

10月22日(火) セイレーンの歌―天使の声か悪魔の囁きか
 講師:尾形希和子

10月29日(火) 「歴史的時間」の問題をめぐって―ジンメル、パノフスキー、ヴァールブルク―
 講師:喜屋武盛也

ぜひご来場ください。

http://www.okigei.ac.jp/geijutsu/News.html
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by rnfrst | 2013-09-30 20:29

吉濱翔「由来から唄」 アーティストトーク

下記のアーティストトークにゲストとして参加します。

「TOKYO EXPERIMENTAL FESTIVAL Vol.8 TEFサウンド・インスタレーション 第1期 吉濱翔「由来から唄」 アーティストトーク」
日時:10月19日(土)19:30-
会場: トーキョーワンダーサイト本郷
ゲスト:畠中実氏(ICC主任学芸員)、土屋誠一氏(美術批評家)

生まれ育ちは沖縄、半年前ぐらいから目下京都に在住している吉濱さんの仕事は、ここ数年、展覧会の形式や、イヴェントや、ライヴを通じて、しばしば拝見してきました。
彼は、一貫して「音」に関心を持って、様々な形式で作品や演奏を発表してきました。
多分、吉濱さんの仕事は、私はかなり体験しているほうだと思うのですが、比較的その仕事を理解している私と、音が関係する美術について語るに、この方を措いて誰がいる、の畠中実さんとご一緒に、吉濱さんの可能性の中心を探りたいと思います。
アーティストトークの時間は、展覧会が閉まった後になりますので、ぜひ吉濱さんの新作を開場時間中に観て・聴いてから、トークにいらしていただければと思います。

http://www.tokyo-ws.org/archive/2013/08/tokyo-experimental-festivalvol8-tef.shtml
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by rnfrst | 2013-09-27 18:18

『東奥新報』2013年9月19日「寄稿 23日まで八戸で北島敬三展 種差を多角的に考察」

もう展覧会の会期は終了してしまいましたが、表題の展覧会評を寄稿しました。
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by rnfrst | 2013-09-25 09:21

展評 吉濱翔「身体の記憶たちは戻ってゆく感覚を体験している」

 全部で9点の大伸ばしにされた写真のインスタレーション、1点のビデオ作品、そして、ギャラリー会場床面には、廃材や小枝や石ころが散りばめられている。写真は、ほぼ沖縄本島各所で撮影されたものであるようだが、その風景のなかには、何かしらの行為の痕跡が残っている。かつて、ヴァルター・ベンヤミンは、ウジェーヌ・アジェの写真を「犯行現場」になぞらえたが、ここで提示された写真もまた、何かしらの犯行が行われた事件の記録写真のようにも見える。
 ビデオ作品に目を転じてみると、ここで提示された写真が、一体何を示しているか、理解できるかもしれない。固定カメラによって撮影された光景は、今回の吉濱翔の個展が開かれているこの会場で、恐らく展覧会期前に行われたと思しき、集団即興演奏の記録を示している。即座に断っておかねばならないが、「集団即興演奏」と言っても、何らかの楽器を使用してのものではまったくない。さまざまな廃材や石ころを組み合わせたり、投げたり、ぶつけたり、引きずったり、といった行為による、楽器ではないなにものかで、複数の演奏者の手によって出される物音の様子が、ビデオに記録されているのである。ギャラリー床面に散りばめられた物体は、この演奏が終了した後に、放置されたものであろう。
 先に、「犯行現場」という言葉を用いたが、吉濱は、自らの仲間とともに、さまざまな場所でこのような「犯行」を繰り返し試みている。ギャラリーに展示された写真は、屋外で行われたこのような「集団即興演奏」の、「犯行現場」の記録写真である。「犯行現場」とは過激な内容に聞こえるかもしれないが、実際はまったくそうではない。芸術の価値の破壊やかく乱が行われているのではなく、吉濱が行っていることは、ちょっとした悪戯のようなものである。まるで子どもが、手探りでモノをつかんだり投げたりぶつけたりして、自らと外界との距離を測定するかのように、吉濱ら演奏者たちは、モノと戯れている。つまり、芸術の破壊どころか、なんにもないところから表現らしきものを立ち上げていくことを、自らの行為によって確かめているのだ。
 吉濱は、即興演奏の音楽家としても認知されているが、彼が今回の作品で提示したものは、いわばささやかな祭りの後である。観者は、祭りの後の「犯行現場」から、かつてそこで鳴り響いていたであろう物音を、想像によって埋め合わせる。吉濱ら演奏者たちがそうであったように、観者もまた想像力によって、モノとモノが組み合わされるところから発生する、「表現らしきもの」が立ち上がる様子を、自らによって組み立てようとするだろう。吉濱にとって、表現とは自明なものではない。既成の「表現」を追認しているだけでは、それは単なる模倣に過ぎない。吉濱が試みているのは、「表現らしきもの」が立ち上がるかもしれないその寸前を、注意深くキャッチしようとすることである。「表現」の「はじまり」に注意深く目を(耳も)凝らすことこそが、このアーティストの芸術行為の、豊かな魅力なのである。

『沖縄タイムス』2013年9月13日
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by rnfrst | 2013-09-14 11:34

『沖縄タイムス』2013年9月13日 「展評 吉濱翔「身体の記憶たちは戻ってゆく感覚を体験している」」

『沖縄タイムス』の本日付の記事として、表題の記事を寄稿しました。
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by rnfrst | 2013-09-13 08:09