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沖縄県立芸術大学芸術文化研究所文化講座「現代沖縄諸芸術の変遷」 第9回「現代沖縄の美術」土屋誠一 6月16日

去る6月16日に、表題の市民向け講座を、オンデマンド配信で行いました。
さかのぼり受講ができると思いますので、ご興味おありの方は、ぜひお申込みいただければ幸いです。

http://www.ken.okigei.ac.jp/lectures/pg142.html#Kunst

# by rnfrst | 2022-06-25 18:41

『コメット通信』バックナンバー一般公開

水声社のメールマガジン、『コメット通信』のバックナンバーが、第22号まで一般公開されています。
http://www.suiseisha.net/blog/?page_id=16501
私は、21号に、美術家・映像作家の山城知佳子さんの作品についてのエッセイを寄稿しています。
どうぞ、お読みいただければ幸いです。

# by rnfrst | 2022-06-23 12:26

「展評 ネルソン・ドミンゲス展」『琉球新報』2022年6月7日

 沖縄島に在住する美術愛好家において、特権的な恩恵のひとつを挙げるとするならば、数年おきに定期的に、ネルソン・ドミンゲスの作品を実見できるということだ。そんな鑑賞の機会に恵まれた土地は、私の知る限り、少なくとも日本にはどこにもない。この点については、画廊サエラの努力に、感謝しなければならない。キューバを代表する美術家のひとりであるドミンゲスは、誇大広告的な贅言では一切ない、単なる客観的な事実として、国際的に一定の評価を獲得しているのみならず、必ずしも先端的な現代美術としての特質を示すようなタイプの美術家ではないにせよ、そうした評価に見合うだけの、優れた質を持っている。1998年を皮切りに、今回で6度目となるこの個展は、90年代の作品から、比較的近年の作品を、14点の平面作品で構成した、いわばミニ回顧展とでも言うべきものである。
 キューバ革命後の充実した専門教育の恩恵を受けて美術家として大成し、今日なおその活動を展開するドミンゲスの作品は、キューバの近現代の美術の歴史のなかでも、さほど先鋭的な作品であるわけではない。ドミンゲスの作品よりも、過激で批判的な作品を提示する美術家は、彼の先行する世代にも、後続する世代にも、少なからず存在する。それでもなお、ドミンゲスの作品が、観る者を惹きつける理由は、彼の作品が、とりわけ近代美術の巨匠たちのヴォキャブラリーを熟知した上で、それを作品において巧みに総合しているからであろう。
 ドミンゲスの作品には、ピカソ、オートマティスムを重視するタイプのシュルレアリスト、そしてジャクソン・ポロックといった、モダンマスターたちの開拓した語法が、効果的に使用されている。特に、キューバ出身のシュルレアリストであり、ドミンゲス自身も敬愛していることもあり、今回の展覧会にも小品が一点だけ特別展示されているヴィフレド・ラムからの影響と、その精神を継承する意思が、強く感じられる。
 このような影響、というよりも、近代美術の豊かな成果の継承、と言うべきだろうが、デフォルメも加えつつも、色彩が抑えられて、比較的暗い画面において実現しようとしていることは、人間存在の本質を抉出することであると言ってよいだろう。その点では、実存主義的であるとも言い得るが、ドミンゲスの文化的バックグラウンドである、アフロ・キューバンの観念が根を下ろしている点が、世俗的な人間像に、彼の描く形象をとどまらせない。すなわち、人間像でありつつ、かつ、同時に聖性をも帯びているといった、プリミティヴな宗教観念が、彼の画面内に反響しているのだ。
 まさにこの点こそ、ドミンゲスの作品が、必ずしも、現代美術の愛好者たちがしばしば求めがちな、過激な先鋭性を保持しておらずとも、現代にも通ずる普遍性を保持している、その理由であることは間違いない。見せかけの刺激や新しさのみが、芸術の価値ではないのだ、という当たり前の真実を教えてくれるのである。

『琉球新報』2022年6月7日

# by rnfrst | 2022-06-22 09:53

「展評 長尾紀壽展」『沖縄タイムス』2022年5月25日

 2011年、18年と、佐喜眞美術館での充実した個展を見てきた上で、今回の、空間の性質上、必ずしも広いスペースであるわけではない商業ギャラリーで、長尾紀壽の作品を実見できるのは、なんとも新鮮な体験であった。展示されている作品に、取り立てて新機軸が打ち出されているわけではなく、むしろ、これまでの長尾の仕事を、中規模から小品まで含めてじっくりと対面することができるという、親密な空間が展開されている。長尾の作品は、型絵染という線や形をどちらかといえば明瞭にあらわす技法の特性もあってか、優しさや穏やかさよりも、力強さや清廉さといった特性のほうが際立つように思われる。実際、過去の佐喜眞美術館での個展では、観るものの視線をはね返すような強靭さが、長尾の作品の魅力だったと思う。けれども今回の個展の、このいわく言い難い親密さは、どうしたことだろうか。
 久しぶりに、この老練といっていい境地に達した芸術家と、つれづれに対話したところ、ここ数年、長尾本人にとってのアクシデントが続いていたことを知った。ひとつは、比較的直近に、外科手術を要する腰の病気に見舞われていたということ。作品の制作上、どうしても腰部に負担がかかることを避けられないため、型紙づくりや染の作業を、かなりの程度制限されざるを得ない。しかし、既に傘寿も通過した、大ベテランの作家に、身体の健康上の不具合が起こることは、避けることは難しい。加えて今回、藍染めの端切れを組み合わせた小品が複数展示されているのだが、これは、保管してあった過去の大作が、シロアリに食われる被害に直面した苦肉の策として、虫食いの部分を避けて、作品を切断して張り合わせて再構成したものであるという。なんとも不運続きであることは否めない。
 今回の展覧会には、「断片」というタイトルが付されている。諸々の回避できないアクシデントによって、致し方なく、過去作品の文字通りの「断片」も含めて、展示を構成したからこそ、こうしたタイトルが付されているわけだ。しかし、だからといって、本展を観る価値のないものでは決してないことは、強調しておかねばならない。作家が老いてバラバラな断片しか提示できないと解釈するとしたら、散漫な展示になっていたはずだが、決してそうはなっていないのが、今回の個展の肝である。
 むしろ、いかに小品であっても展覧会を構成する欠かすことのできないピースが慎重に配置されて互いに響きあうことで、上述したような、いままでの長尾ならば見せなかったような親密な空間が現出していることに、奇跡のような思いを抱かざるを得ないし、作家の強い意志がそうさせているのは当然としても、それは「祈り」のようなものと言っても過言ではないように思う。そうした空間を作り上げた長尾に、「断片の矜持」というフレーズが脳裏をよぎるのは、私だけだろうか。
 病を経て、ベッドと車椅子での生活を余儀なくされた晩年のアンリ・マティスが、はさみと色紙との画面構成による新境地を開拓したことは、美術史上においてよく知られたエピソードである。創作の奥深さに取りつかれた芸術家は、その活動を停止することができないのだ。長尾の好むモティーフのひとつである、根の生えた島らっきょうのごとく、その作品はしぶとく根を生やしつつも常に新鮮であり、そして優しいのだ。
『沖縄タイムス』2022年5月25日

# by rnfrst | 2022-05-28 20:42

「山城知佳子の作品について その近年の取り組みから」『コメット通信』21号

水声社のメールマガジンの『コメット通信』に、表題のテキストを寄稿しました。

土屋誠一「山城知佳子の作品について その近年の取り組みから」『コメット通信』21号(2022年4月)

会員制のメルマガのため、会員になれば読めるのかな?私も正直よくわからないのですが、ともあれ、近年の山城さんの作品のポイントを押さえた論考にはなっていると思われますので、ぜひ、なんらかの方法でお読みいただければ。
なんらかの方法で、近日お読みいただけるという噂もちらりと……。
http://www.suiseisha.net/blog/?paged=2

# by rnfrst | 2022-05-03 13:57