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美術月評〈11月〉

 「粟国久直展 Cube-Babel 2」(画廊沖縄、11月18日~27日)で発表された、映像インスタレーションの作品〈CROSSING 交差するまなざし〉は、粟国と土江真樹子、大山健治の3人による共同制作によるものである。作品が主題とする舞台は、沖縄戦時の激戦地であった「シュガーローフ」であり、作品となった映像には、その現在の場所である那覇新都心の光景に、当時の戦闘中に撮影された記録映像が織り込まれている。粟国は映像作品の制作に先立ち、展覧会名と同名のタイトルを持つ、長大な近未来SF的物語を執筆しており、この物語をいわば「原作」として、今回の作品が作り上げられたという。
 とはいえ、この映像作品は、明確な物語性を持っているわけではない。1945年のシュガーローフと現在の新都心との連なりが示唆されているのにとどまり、そのメッセージはあくまで暗示的である。主題は確かに沖縄戦という個別性を伴っているものの、粟国が射程とするのは、今日まで引き続く、近代とりわけ第2次大戦以降の「戦争」一般であるといったほうが正確であろう。さらに、粟国の考察は、戦争にかかわる人間存在が主題になっているというよりもむしろ、非人間化された戦争テクノロジーへの関心に向かっているようであり、恐らく大山の貢献が大きいであろう、高解像度の映像や音響と相まって、非人間的な感覚が際立つ。
 このような脱ヒューマニスティックなアプローチは、今日に至るメディア・テクノロジーの発達による視聴覚環境を享受する我々の時代感覚と無縁ではないであろう。そのようなテクノロジーへの感覚が、粟国の想像力をSF(それ自体、テクノロジーの発展と不可分である物語的想像力に根差す)的な想像力へと導いているように思われる。ゆえに、この作品は、ヒューマニスティックな戦争批判でもなければ、ましてや戦争賛美でもない。そうではなく、良くも悪くも触知的なリアリティと懸隔を持つ、今日のメディア環境下における我々の時代認識の様態と、それと並行する脱ヒューマニスティックな「戦争」への考察なのである。そのような「戦争」との距離感は、現代における倫理的判断であると言うべきだ。
 一方、同じく戦争が主題であるといってよい「真喜志勉個展」(MAX PLAN、10月19日~11月19日)は、より個別具体的な事象を、その作品において扱っている。「I LOVE MARILYN, NOT MARINE」(愛するのはマリリンであって、マリーンではない)と副題的に示されたダジャレ的言辞の通り、米軍の海兵隊への揶揄が込められている。とはいえ、真喜志のアメリカに対する態度は、両義的である。この個展で展示された作品は、黒い箱状の支持体の底面に、V22オスプレイなど、沖縄の米軍基地への配備が取り沙汰される軍用機の図像と、映画『七年目の浮気』での、マリリン・モンローのスカートが風で舞い上がる有名なシーンの図像がコラージュされたオブジェであり、ほとんど同形のそれら数十点が、反復的に展示された。このような図像の反復的な使用は、アンディ・ウォーホルのそれをすぐさま想起させるように、「アメリカの」ポップアートがその着想源になっているのは明らかである。真喜志のアメリカ文化に対する強烈な愛着は、射出された精液をあからさまに想起させる作品の表面に飛び散らされた白い絵具が示すように、根深いのであろう。しかし、世界におけるアメリカの文化的プレゼンスと、例えば沖縄における米軍の軍事的プレゼンスがパラレルな関係にあることは真喜志自身も深く了解しているはずである。このような両義性を、愛憎といったような情念によって示すのではなく、マリリンとマリーンを掛けあわせるダジャレ的なユーモアによって提示する作法にこそ、真喜志の作品の持つ批評性が発揮されていると言って過言ではないだろう。
 「石川真生写真展 日の丸を視る眼」(galleryラファイエット、11月3日~13日)は、先頃刊行された同名の写真集にあわせて開催された。日の丸という「日本」のシンボルをめぐって、右派左派問わずパフォーマンスを行う被写体を捉えたシリーズであるが、主題としては勿論、日の丸をめぐるイデオロギーが問題とされている。しかしそれだけではなく、被写体との共犯関係によって創りだされるこれらの写真群には、党派を問わず「人間」という存在に対して深くまなざしを向ける、この写真家の特質が強烈に刻印されており、そこでは政治的な立場を越えた、さまざまなる「人間」が確かに捉えられている。その点においてこそ、観る者は揺さぶられるのである。
 「石垣克子展2011 コルクのひととき」(galleryラファイエット、11月23日~12月4日)は、コルクをモティーフとした近年のシリーズのさらなる展開が示された。石垣は描くいかなる対象であれ、擬人化してしまうというまれな才能を持つ画家であるが、この個展でも、その特質が際立っていた。擬人化されたモティーフは、ひとつひとつの作品においてコミュニケーションを行っているが、このモティーフ相互の関係性は、複数の作品を越えて、連鎖的な関係を取り結ぶ。この関係性の連鎖こそが、石垣の作品群を豊かな集積にしているのである。
 石川竜一、浦田健二、須藤系、平良亜弥、吉濱翔が参加したグループ展「Open Okinawa 沖縄 幕開け!展」(space tropical、11月26日~12月4日)は、この展覧会を企画した介川貴晶のキュレーション力が、残念ながら乏しかったと言わざるを得ない。しかし、30歳以下の若手アーティストに限定したこの展覧会が、世代の更新をもくろんでいるのは明快であり、このようなチャレンジングな取り組みが、継続して展開されることを期待するものである。
 その他、喜屋武千恵、組久美、山城芽による「ぐるぐる 絵本原画展」(GARB DOMINGO、11月19日~27日)、「鈴木淳 大沖縄」(GALLERY point-1、11月19日~12月4日)、「城間喜宏展」(Caféゆくれれ、11月21日~12月4日)があった。

『沖縄タイムス』2011年12月9日
by rnfrst | 2011-12-12 10:17
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