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美術月評〈7月〉

 「石川竜一写真展 +zkop」(沖縄コンテンポラリーアートセンター=OCAC、7月4日~8月2日)は、昨年刊行され、高評価を得た2冊の写真集「絶景のポリフォニー」、「okinawan portraits 2010-2012」での写真をベースにしながら、いわば「ブレーク以前」の様々な試行をもすべて「お蔵出し」するような展示であった。
 しかし、この展覧会は回顧展などではなく、「ブレーク以前」の石川の、正直に言えば「当世風ではまったくない」、どうにも散漫ではあるけれども、アドレッセンス(青年期)の沸騰とでも言うべき過去作品から、成熟を経て先の2冊の写真集に明白なような、ストレートな写真への転換が、会場の1階には「ブレーク以前」の写真が、そして2階には「ブレーク以後」の2冊の写真集からの写真が展示されることで、示されていた。
 けれども、上記2冊のストレートなスタイルを獲得した写真集が、「ブレーク以前」の混沌から切断されているというわけではなく、2階の「ブレーク以後」の写真もまた、写真のイメージは端正ながらも、展示空間は木の角材が縦横に空間を占めるという展示方法をとっており、石川の写真に対する姿勢は実は「ブレーク以前」から一貫しており、やはりカオティック(混沌)な感性に基づいていることを、石川本人が宣言しているかのようである。
 「アシャリフ・エリカ展 THE SYMBOL OF WOMAN 貴女が名画になるその一瞬、神秘となる」(県立芸術大学付属図書・芸術資料館、7月16日~20日)は、文字どおりのタブローと、タブロー大の写真を使用した作品の組み合わせによる個展であったが、注目すべきは後者である。
 アシャリフの作品は、入念にセットアップされた演出写真であって、その「元ネタ」としては、様々な西洋絵画に登場する、主として女性像から選ばれている。アシャリフの作品は、本来であれば、セクシュアリティ、エスニシティ、西洋および非西洋圏文化、さらにはシンディ・シャーマンを嚆矢とするようなフェミニズム理論のバックグラウンドといった、様々な与件としてのコンテクストを消化してあるべきはずなのだが、良くも悪くもすべてが生煮えのままで提示されている。
 つまり、作品のコンセプトメイキングとしては、詰めが甘いと言わざるを得ない。けれどもここであえてこの個展を採り上げるのは、生煮えゆえにパワーで押し切る腕力であり、那覇の国際通り上でピエタを演じる作品などの馬鹿馬鹿しさには、確かに「産む性」としての女性というステレオタイプを脱臼させるような視覚的イメージの力を持っている。
 それゆえに、アシャリフの今後の課題としては、上述したような様々な「生煮え」の状態を克服しつつも、理論のイラストレーションとしての作品にはならないような破天荒さを両立させるといった、知性と視覚的な感性の強靭さを獲得することだと言える。
 「阪田清子個展 雪道で落とし物をしてはいけない」(KIYOKO SAKATA studio、7月17日~26日)は、東京のギャラリーで年頭に行われた個展を、自らのスタジオ件ギャラリーで再展示するというものであったが、文章の文字の上に、ブロック状の小粒な塩の結晶をのせるという作品が中心である。
 半透明の結晶によって、下に書かれたテキストの可読性は、ほぼゼロに近い状態に置かれるわけだが、阪田は詩的と言うべき繊細なオブジェクトの配置によって、コミュニケーションの過剰さゆえに、かえって他者との深い断絶を生んでいるような今日の情報インフラの状態に逆らうように、縮減された対話の果てにある、想像し得る深い対話の可能性を示唆するかのようである。このことは、バラバラになった今日の人間における、新たなる共同体の模索が、作品を通じて静かに語られているかのようである。
 屋良和香奈、吉川由季恵、玉那覇真希によるグループ展、「きのうと、きょうと、あしたの眺め」(Café ONE OR EIGHT、7月15日~8月10日)は、恐らく気の合う仲間が集まっただけに過ぎないグループ展であろうし、飲食店の壁面という展示環境の限界もあってか、野心的な展覧会とは言い難いものではあったが、玉那覇の作品にだけは触れておきたい。
 木枠のなかに、時には人間の赤ん坊よりも小さい、手製の薄手の衣服が吊られており、ほとんどが血液のような濃い赤で染め上げられている。いわば、衣服というよりも、人間の抜け殻が吊られているかのようにさえ見えるのだが、玉那覇の作品の美点は、それがグロテスクなものに見えるというよりも、皮膚の温かみや、生気、人間の存在感、といった確からしさや、作品制作のプロセスが想起させる、手作業のような、家父長制の中での家事労働さえも想起させ、フェミニズム的な観点も含まれているかのように見える点である。
 恐らく玉那覇の作品は、もっと大きな物理的スケールが与えられる際に本領を発揮すると思われ、今後の展開に期待するところである。
 「記憶と肖像 沖縄と韓国・写真交流展 戦後70年沖縄美術プロジェクトすでぃる―REGENERATION/佐喜眞プロジェクト」(佐喜眞美術館、7月22日~8月10日)については、もはや語るべき紙幅がないが、七海愛の作品にだけは言及しておきたい。1枚のイメージに複数のイメージを合成するという手法が、ここ最近の七海のスタイルだが、プライベートな出来事にカメラを向けつつ、そこにイメージの操作を加えることで、夢幻的な情景を生み出すという手法は、七海の特質であり、今後さらに彼女の作品が深められていくことは間違いないであろう。

『沖縄タイムス』2015年8月7日
by rnfrst | 2015-08-11 16:36
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