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2014年 04月 05日 ( 1 )

美術月評〈3月〉

 「内山依津花×七海愛2人展」は、那覇市のGallery土(2月27日~3月5日)と、糸満市のGallery Apartment(3月25日~30日)との2会場で開催されたが、糸満を会場とした後者のほうが、より充実した展覧会だった。画家の内山と写真家の七海との、互いに扱うメディアの異なる2人展であるが、2人で展覧会を行うこと自体には、さほど大きな意味はなかろう。しかし、それぞれの作家は、確かなその特質を、展覧会で発揮していた。ここでは後者の展示を取り上げておきたい。
 まず内山は、ほとんど線描のみを主体とする画家と言っていいだろう。その作品は、絵画というよりも、ドローイングと言ったほうがより近い。けれども、ドローイングがタブローに劣るわけでは全くない。内山は、半透明のロールの紙に、延々と線を描き続ける。それは、具象的な形態を再現するわけではなく、複数の線はよじれた幹のような形態になり、あるいはその幹にうろこ状に線描がまとわりつき、全体にヴォリューム感のある線描の流れのようなかたちを描き出す。油性ペンで下図もなしに、端から順番に慎重に描かれたであろうその描写は、ある種の彫刻的な質すらも感じさせる。この画家は、線描で形態を創出するのに圧倒的な才能を持っていると言わざるを得ない。そこには、現代アートに求められるようなメッセージ性は皆無である。しかし、絵を描く、そして、その絵を鑑賞する視覚的快楽が、陳腐な意味などを凌駕している。比類ない形態を創出する才能にたけているという点だけとっても、造形芸術の作家としての特質を、充分に感じさせる作品であることは間違いない。
 一方七海の写真は、那覇での会場ではモノクロのスナップ写真を展示していたが、後者の糸満の会場では一転してカラー写真を提示していた。七海のカラー写真は、ストレートフォトではなく、デジタルの画像データをコンピューター上で重ねあわせたものであるが、ストレートフォトよりもむしろ、このデジタル上での画像処理を施されたカラー写真のほうが、より「写真的」に見えた。カメラで捉えられた個別のイメージは、なにげない光景である。しかし、個別のイメージが複数、単一の画面に重ねあわされることで、いわば異界的なイメージを創り出すことに成功していた。そもそも写真とは、その歴史の黎明期までさかのぼれば、魔術的な技術であった。そのようなある種の回顧性を、古いアナログメディアで再現するのではなく、デジタルの技術で創出し得るところに、七海の優れた写真というものの把握があるのだろう。最新の技術を使用することで、むしろ写真の根源的なものの淵へと触れているところに、七海の写真家としての特性が刻まれていた。
  「福長香織彫刻展 呼吸する風景」(CAMP TALGANIE artistic farm、1日~23日)は、ここ6、7年の福長の仕事が部分的にではあれ総覧でき、近作によるちょっとした回顧展のような趣があった。技法は石彫から鍛金と、バラエティーに富んでいると言えるものの、私が注目したのは、会場の広い壁に点在するように設置された、さほど大きくはない取っ手状の石彫の作品である。近代以降の彫刻は、場所の制限から自立した時点で「作品」と見做されるのが常だが、福長のこの作品は、立体的な造形物であるゆえに彫刻であり、しかし、壁に設置されることを前提としている点においては絵画であり、さらに機能的にはあきらかに「取っ手」としての役割を示唆しているという点で興味深い。ここで行われていることは、ジャンルの変換であるのと同時に、それが潜在的ではあれ使用目的の変換でもある。彫刻は他の表現ジャンルに比して、その重さゆえに苦戦を強いられているが、福長のこの文字通り軽やかな「取っ手」でもある「彫刻」は、彫刻というジャンルのひとつの可能性を示唆していたように思われる。
  「渡久地葉月写真展 The other side」(Galley Space PinoO、21日~24日)は、ほとんどが那覇で撮影されたと思しき、なにげない風景が写し取られていた。渡久地の写真の特徴は、その中庸さであることは間違いない。なにひとつ、明白に訴えかけることのない個々のイメージは、むしろその中庸さゆえに、沖縄の都市の光をリアルに捉えている。沖縄の都市部に行けば誰しもわかるように、観光イメージによくあるような、青い海や空はどこにも存在しない。むしろ都市を照らしているのは、ニュートラルな光である。このなにも訴えかけないような写真群は、それゆえに路上からの目線の沖縄の都市部を、的確に捉えているように思われる。このようなクールな写真の実践は、案外沖縄ではあまり取り組まれていないという点においても、渡久地の作品に注目していくべきであろう。
  「齋悠記絵画展 まいにち」(kufuu、14日~23日)は、オーソドックスにフォーマリスティックな抽象画であると言っていいが、確かな豊かさを持った絵画空間を生成していた。絵画の生っぽさは注意深く拭い去られ、絵画的イメージとしか呼べないような空間性を実現していたという点は、決して低く見積もるべきではない。
 最後に、「さんてん」(旧・若松薬局、2月28日~3月9日)に出品されていた、上地愛乃の作品には触れておきたい。ナルシスティックな少女性をむき出しにした映像インスタレーションと言っていいと思うが、ナルシシズムも極まれば、不気味な説得力を持つ。上地が今後どのような作品を展開していくのかは不明だし、彼女の作品が優れていたと断言するにははばかられるのだが、極端な少女的ナルシシズムにはある種の戦慄を覚えたのは確かであり、次なる展開を期待させるに十分ではあった。

『沖縄タイムス』2014年4月4日
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by rnfrst | 2014-04-05 22:03