「伊波リンダ写真展 デザイン オブ オキナワ」(琉球新報社天久本社ビル1Fギャラリー、11月21日~26日)は、これまで沖縄を舞台に撮影された写真作品としては、さほど派手ではないものの、実際のところ先行する類例が少ない、意欲的な写真群によって構成された、優れた展覧会であった。
今回の個展は、明らかに伊波のブレークスルーを示していた。被写体としては在沖縄の米軍関係の人物たちと思しき人々が選ばれており、米軍関係者だけを被写体とする試みは、これまで案外実践されていなかったのではないだろうか。しかも伊波は、カメラ目線の関係を持ちつつ被写体に近づくわけではなく、かといって、遠距離から風景の一部のように距離をとるのでもなく、多くの写真が、比較的中庸の距離感覚で撮影されている。
つまり伊波は、在沖縄の米軍関係者に対して、感情的にコミットするわけではなく、同時に、関係性を遮断するわけでもなく、言い換えれば、同一化する対象として没入するのではなく、かといって拒否するのでもないという、なんとも微妙な距離感をとっている。これは、「米軍」という暴力装置の集合は拒否しつつも、その集合のなかには人間ひとりひとりの個別性があるという、当たり前ではあれども理性的に整理しづらい両義性を、そのまま彼女の身体性として提示していると言えるだろう。そして展覧会のタイトルは、こう問う。「それで、沖縄をデザインしているのはいったい誰なの?」と。
「現代沖縄陶芸の歩み」(那覇市立壺屋焼物博物館、11月7日~12月27日)は、狭い企画展示室を利用しつつも、戦後の沖縄の陶芸の歴史を、的確な解説と作品の展示で見せるという、意欲的な展覧会だ。最も注目すべきは、展覧会の末尾に、では「沖縄陶芸」なるものがどういった特色を持ったものであり、今後どういった方向を目指すべきなのか、という率直な問いかけが投げかけられていたことだ。
「沖縄陶芸」と言えども、それは固定的な様式を持つものではなく、時代の要請とともに変容をきたしてきたものだ。つまり、「伝統と革新」という、これまで散々繰り返されてきた問いであるわけだが、まだその問いが有効性を持っているということの証しでもある。伝統は自然発生するものではなく、意志をもって形成されるものであり、ぼんやり待っているだけではその回答は導き出されることはない。
逆に、革新だけを目指すならば、陶工の人数分だけの無数の「沖縄陶芸」ができることになり、そのような規範のない状態は、沖縄という場の特殊性を自ら放棄することになる。ゆえに、この問いは、沖縄における陶芸にかかわる人々への、博物館からの挑戦状であり、先人や現代作家の営為に基づく丁寧な展覧会である裏腹に、論争的な問いを投げかけるものでもある。
「大嶺政寛 情熱の赤瓦、沖縄の原風景を求めて」(沖縄県立博物館・美術館、11月25日~12月27日)は、この画家がいかに優れているかを認識させてくれる展覧会である。大嶺の主たる主題は、言うまでもなく赤瓦なのだが、それを大嶺の理想とする沖縄の風景とのみ考えるだけでは、不十分だと思われる。
大嶺の絵画は、様式的にはフォーヴィスムの流れにあり、特に時代が古い作品に顕著であるが、形態を描写するために輪郭線に頼るのではなく、比較的細かい筆触を重ねていくという描き方が特徴であろう。そのため、遠近法を離れて、歪んだ空間になり、同時に画面全体は奥行きを示唆するよりも浅い空間を強調しつつ、筆触の積み重ねによって画面を構築し、赤瓦の堅牢な幾何学的形態が前面に展開される。そのため、風景画を観ているという印象よりも、画面から観者に向かって筆触が殺到してくる印象を強く受ける。
このような説明は、言うまでもなく印象主義以後のモダニズム絵画の正統的な手法であり、赤瓦に感情移入するというよりも、赤瓦という固定的なモティーフを何度も反復することで、個々の作品の差によって発生する、微細な感情の揺れを実験するというものであると考えたほうがいいだろう。
大嶺の活動した同時代においては、このような具象絵画は反時代的なものとみなされたようだが、例えば安谷屋正義のような優れた画家の営為を十分に認めた上であえて言えば、当時反動的とみなされた大嶺の絵画が、最もモダニズム絵画の理屈を咀嚼しつつ、自らの信念に従っていたことは明白である。その点で言えば、今日の視点から見れば、周回遅れではあれ、結果的にトップランナーとして存在していたと考えることもできるというところに、大嶺の作品の豊饒さはある。
ただ一点、展覧会の組み立てについて難を言えば、展覧会末尾の大嶺以外の芸術家によって描かれた、沖縄の風景の作品を集めたコーナーは、個展という性質上、明らかに蛇足である。もし大嶺が存命していたとするならば、嘆いたであろうと思うのは私だけだろうか。
「巨匠真山がみつめた平和のいろとかたち」(沖縄県立博物館・美術館、11月17日~2016年2月21日)は、博物館の常設展示室の1コーナーを使用した、山田真山についてのミニ企画展である。山田については、ここ数年、那覇市歴史博物館、宜野湾市立博物館が、ようやくその仕事の紹介を始めたところである。明治天皇の事績を絵画によって示す、東京・明治神宮外苑にある聖徳記念絵画館の、〈琉球藩設置図〉という代表作が示すように、正直に言って山田が「平和」について深く思考した画家とは私には思えないのだが、そのようなイデオロギー的な是非は置くとして、山田から学ぶべきことは、線描の圧倒的な充実である。
沖縄において「日本画」を描くということは、それこそイデオロギー的な点において慎重に考える必要があるが、一方、大陸とのネットワークを考慮しつつ、近代化によって失われてしまった東洋の絵画における高度な技量が、日本本土を経由して、山田に流れ込んでいると見ることも可能だ。
だから、沖縄において、近代絵画である「日本画」ではなく、さらに歴史を遡行し、広大な文化圏のネットワークの記憶を呼び覚ますために、端的に「東洋の絵画」の歴史のデータベースが、山田の作品に保存されているということを探求するほうが、生産的であると思われる。
『沖縄タイムス』2015年12月4日